中川龍のブログ

Tarot & Hint



審判のキーワード「復活」「再生」「奇跡」とはどういうことか?

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タロットカードの審判。

英語ではジャッジメンッッッ!!(゚Д゚)

 

この名前だけ聞くと、「裁判でも始まるのかな?」って感じだけど

このカードのキーワードは、多くの書籍やサイトでは「復活」「再生」「奇跡」と書かれてることが多い。

…でもこれ、不思議に思わない?

だって「審判」なのに、何がどう復活なの?再生なの?奇跡なの?って感じしない?笑

 

例えば、死神のキーワードが「終わり」なのはわかりやすい。

「あー確かに死神なら終わりだよね」って感じがする笑

じゃあ審判はなんなんでしょー?

 

今日はこれについて解説してみる。 

 

The Llewellyn Tarot

The Llewellyn Tarot

 

 

 

タロットカード「審判」のモチーフは、新約聖書の「最後の審判の日」

新約聖書によれば…

世界の終わりにイエス・キリストが再臨し、あらゆる死者をよみがえらせて裁きを行い、永遠の生命を与えられる者と地獄に墜ちる者とに分けるという。 

最後の審判 - Wikipedia

 

ちなみにタロットカードの絵で再臨してるのは、イエス・キリストではなく、大天使ガブリエルさんだそうです笑

まぁそういう細かいところは諸説あれど、とにかくキリスト教圏では、「最後の審判の日」ってのがいつかやってくると信じられてるわけです。

  • そこで死者を蘇らせるから「復活」「再生」というキーワードが。
  • いい子にしてた人は生前の善行が報われ永遠の命をもらえるので「奇跡」というキーワードが

それぞれ生まれてるわけです。

 

僕は個人的には、「永遠の命をもらうためにいい子にする」んだったら、それって「飴をもらうため自我を捨て、親に媚びへつらう子供と変わらなくね?」って感じがするので、この世界観そのものにはあんまりしっくりきてない。

 

ただ、

「本気で頑張ってれば、神様的な何かはしっかり見ててくれる」

「本気で頑張ってれば、いつか思わぬ奇跡は訪れる」

っていうのは、人生の法則としてあるんじゃないかなーとは思ってる。

なんとなくそう実感している

 

生きていると、なかなか目に見えた成果が出なくて辛いときってあるよね。

仕事でもそう。

恋愛でもそう。

全ての物事はスムーズにいくことのほうが少なく、人生はいつでも「うまくいかない何か」との戦いといっても過言ではないかもしれない。

 

だけどそんなときはね、焦って近視眼的にならないようにしよう。

ちょっと自分を俯瞰してみよう。

いまの自分は「神様的な何か」に見られていると仮定したとき、「恥ずかしくない生き方」をしっかりできているだろうか?

自分の問題にたいして正面から向き合い、逃げずに、堂々と、生きることができているだろうか?

 

その答えがYESなのであれば、もう何も思い煩うことはない。

結果はいつか必ずやってくる。

それこそ、奇跡のように。

だから何も心配せず、これからも堂々と生きていこう。

 

その答えがNOなのであれば、少し今後の方向性をみつめなおす必要がある。

結果というものは、悪い意味でもいつか必ずやってくる。

因果応報という言葉がある。

いまの悪行は、手抜きは、怠惰は、いつか必ずどこかで自分に返ってくるのだ。

 

審判のカードは映画のクライマックスシーン

審判のカードは、あなたが今抱えている苦悩を一つの物語に見立てたとき、その「クライマックスシーン」が近づいていることを意味している。

映画や物語の世界ではしばしば、クライマックスにおいて「逆転劇」が起きる。

追い詰められる主人公、勝利を確信する悪役、しかしそこで主人公がそれまで積み上げてきた「何か」が奇跡を起こす!

まさかの大逆転!

主人公の勝利!

…そういうシーンが、あなたの人生物語においても発生する日が近いということ。

 

このカードが出たとき、相談者は「自分自身のこれまでの行い」を見つめ直す必要がある。

これまでのあなたは、最後に「奇跡が起きる」ような生き方をしていただろうか?

 

もう少しわかりやすく言うと

  • 自分にできる最大限の努力をしてきたか?
  • 悔いがないよう全力を尽くしてきたか?
  • 自分だけではなく、みんなが幸せになれる道を通ってきたか?

ということ。

 

もしその答えがYESなのであれば、もう何も恐ることはない。

あなたがそのままのあなたを、最後まで貫き通すことができれば、最後は「奇跡」が起きるだろう。

 

その答えがNOなのであれば、つまりこれまでのあなたが以下のような状態だったのであれば…

  • 自分にできる努力をせず、いつも他人が変わることばかり願っていた。
  • 全力を尽くさず、他人が救ってくれることばかりを願っていた。
  • 他人を蹴落としてでも、自分だけが救われれば良いと思っていた。
  • とにかく自分のことしか考えていなかった。

この場合、クライマックスシーンにおいて、あなたに奇跡は起こらない。

あなたはこれまでの行いに相応な、「それなりの末路」を辿ることになるだろう。

  

もしあなたが後者なのであれば、今からでも遅くはない。

これまでの過ちを認め、今からでも「出来ること」をしよう。

本気になろう。

全力を出そう。

自分だけではなく、みんなが幸福になるにはどうしたらいいかを考えてみよう。

そうすれば、未来を変えることができるはずだ。

 

いま、あなたはこう思ったかもしれない。

「現実と物語は違う」

「現実は物語のように、善人や努力した者が報われるわけではない」

 

じゃあ仮にそうだとして、だから何だと言うのだろう?

例え現実と物語が違うにしたって、「全力を尽くしてる人間のほうが、そうでない人間よりうまくいく可能性が高い」という事実に変わりはない。

「自分のことばかり考えている人間より、他人のことまで考えられる人間のほうが、協力者を得やすい」ことも変わらない。

 

だとすれば、「自分が成功できる可能性が高い道」を選んだほうが良いに決まっている。

それ以上、なにを考える必要があるのだろう?