僕の仕事は「親身になる」こと

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by「アフタータロット」より

 

 

これはとくにおちのない、ただの一人語り。

 

最近思うんだけど、僕の仕事って一言で表すと、「親身になってあげること」なんだと思う。

 

僕はタロット占いを看板にしているけれども、なんか普通のタロットと違う。

僕は心理系の知識を売りにしているけれども、べつに専門の精神科医なわけではない。

では僕は何を売っているのか。

それはきっと「親身になってあげること」だ。

僕がセッションを通じて売っていることは、とにかく相談者に対して親身になってあげることなんだと思う。

 

あまりに多くの人が、自分に対して親身になっていない。

自分に対して、適当に扱っている。

自分に対して、いいかげんに、そまつに、とるにたらないどうでもいいモノのように扱っている。

しかもそのことに気付いてすらいない。

そのことが、僕はどうも我慢ならない性分らしい。

 

だから僕は、そういう人たちに親身になってあげるんだ。

親身になるというのは、ただただ共感するということではない。かといって、ひたすら説教をすることでもない。

「その人に必要なものを示す」ということだ。

共感が必要な段階の人には共感を示すだろう。

説教が必要な段階の人には説教もするだろう。

 

あなたはありのままでいいと許す母性、もっと成長せよと求める父性、これらはどちらも必要なものだ。

しかし多くの人は自分に対して親身ではないから、今の自分に足りないものがどちらなのか見極めることができていない。

だから、本当はすでにがんばりすぎて疲れ切っているのに、そのことに気付かず、もっと成長しなきゃと考えてたりする。

あるいはその逆に、本当に乗り越えるべき困難になど一度も立ち向かっていないくせに「自分はすでにこんなに頑張っている」「私はもうこんなに苦労してる」「だからもう頑張れない」というつもりになっている。そういう思い込みの中に逃げている。

僕のイメージする「親身になってあげる」というのは、その人が今どちらに偏っているのかを見極め、より適切な情報を示すということだ。

 

なぜ僕がそういうことができるようになったのか。

それは自分でもわからない。

でも考えようによって、これまでの人生全てにおいて、ずっとそのことしか考えてなかったかもしれない。

その人に今必要なのは何か。

それだけを考える人生だったような気がする。

学校で、会社で、ネット上で、友人関係で、いつもそのことしか考えていなかった気がする。

僕の興味はいつもその一点に向かっていたように思う。

 

余談だけれども、僕がタロットが「できた」のは、僕の中にこういう父性と母性という概念があったからかもしれない。

タロットは女帝と皇帝のカードでもそうだし、あるいは生命の樹においても「峻厳の柱」「慈悲の柱」というのがあり、どこかベースの部分にこういう「父性と母性」がテーマとして感じられる。

僕のなかにぼんやりとあった概念と、タロットの根源的なところに存在する思想が、合致したんだろう。

僕がタロットを楽しく感じられる一因はこういうところにあったんだと思う。

 

 

多分この記事は、人によっては「何を言っているかわけがわからない」と感じるかもしれない。

すまん。

ただの一人語りなので気にしないでください。笑

 

なんとなくふと思ったから、そのこと書き記しておきたかった。

ただそれだけの記事